エントランスから延びる通路を右に折れ、応接室と思われる広間を横目に突き進む。突き当りの部屋にはかなりの空間があるらしく、開けっ放しの扉からフローリングの床が見えた。
「この建物は野村聡士郎が活躍していた頃に建てられて、しばらくの間住んでいた邸宅なんだってさ。奇跡的に戦火から逃れたこの邸を、戦後間もない頃にプロを志望していた役者たちに稽古場として提供したらしい。その役者たちというのが後に『success』の初代メンバーになるってわけ」
「じゃあそれ以来、ずっとここが稽古場だったということですか?」
「そ。公演で金を貯めて改築重ねながらずっと使い続けてきたんだ。ボロいのは仕方ないけど、場所があるだけでもいいと思わなきゃならないくらいの貧乏劇団だからな。今も昔も」
拓海に続いて京介が部屋に入る。案の定広々とした部屋だったが、およそ似つかわしくない簡易テーブルとパイプ椅子が真ん中に置かれている。稽古に使用する部屋なので簡単に出し入れできるように配慮してあるのだろう。
「……なぁ、お前は野村聡士郎が俳優を辞めた理由、知ってるか?」
「戦場で片足を失くされたからじゃないんですか?」
「……それだけじゃない」
しかし拓海は話を続けなかった。先ほど鍵を取り出した方のポケットから今度はマルボロを取り出した。パッケージを口元に持っていき、口で器用に一本だけ取り出す。いかにも吸いなれているらしい男性的なその仕種からは、“浮世の懸け橋”のお松のたおやかさは想像できない。
「ここの鍵はあとで団長から貰えるから、いつでも稽古したいときに使うといいよ」
「ビルの中にも稽古場はありましたよね?さっき案内していただいた……」
「好きな方を使っていいんだ。俺は両方使ってるけどな」
拓海は紫煙をくゆらせて、時折テーブルに載せられた灰皿に灰を落としている。京介は部屋の中や窓から見える外の景色を眺めながら拓海の話を聞いていた。
「設備で選ぶならビルの稽古場がいいと思う。照明や音響の練習もできるから、裏方はみんなそっちを使ってるし、役者もみんなそうだ」
「拓海さんは?」
「両方使うけどこっちの方が好きだな。誰も使わないから気兼ねしなくていいし、設備が整っていない分、何の小細工もできないから実力がつく。自然な演技とか独り芝居がしたいならこっちの方がいいと思うぞ」
「そうですか……じゃあ、こっちを使おうかな。いいですか?」
「俺の城じゃないんだから了解取らなくてもいいって。好きなだけ使え」